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工房の歴史について
責任者の齋藤賢司です。
上の写真は昭和26年と裏に期され、戦後まもなく現在住む町屋に引越してきました。
戦前は荒川区荒川で横山町の問屋様メーカー様からの革小物や羊革手袋の加工を主に生業としていたとの事を父母から聞いていました。
創業は祖父 賢三郎が大正時代後期に革小物製品の加工でスタートしその後は父母が引き継ぎ、現在は製作技術・バッグデザイン感覚に優れる妻 真由美とともにバッグ・鞄(カバン)の修理・リメイク・リフォーム・オーダーを承る工房です。
私が幼少期の昭和30年代後半には、店名「齋藤カバン店」としてバッグ・かばん販売店とその奥に4畳半ほどの座敷の作業場があり祖父・父・職人さんが革小物の加工と学生カバン・ランドセルなどの修理をしている風景を覚えています。
作業台に卓上サイズの革ミシンが2台あり右手で「しゃかしゃか」と回して革小物を縫製仕上げ、ランドセルや学生カバンを修理する🔨の「トントン!トン」といつも音が聞こえている賑やかで温かい雰囲気を覚えています。
昭和35年祖父 賢三郎です。(店頭にて)
祖父は友人と店先の長椅子に座り将棋をしていましたが、終盤戦にはケンカ別れ・が、また後日ケンカをした友人と将棋・・・そんなことを思い出しました。
祖母 きぬ(白エプロン姿)、商店街の賑わいが感じられます。私は、ジュウシマツ・インコ・弁慶ガニが入った店頭の大きな鳥籠を眺めているのが大好きで、店前の歩道は小さな子供の遊び場で泥団子を作って遊んだり、ロウ石で歩道に絵を描いたり、高度成長期の大人は商売が忙しく入学前の子供達が見えるところで遊んでいて安心だったんだと思います。
年中行事で正月を迎える為に11月頃(だったと思います)家族総出(その頃は店員さん・職人さん含めて十数人)で餅つきを一日がかりで実施、みんなで汗をかいていました。1階店の奥作業場の更に奥がお勝手(台所)で、今では考えられない構造ですが床板を外すと土間になりそこが餅つき場です。ガス釜が2台置かれ餅米をセット,暫くして蒸しあがると待ち構える有珠にドンと炊き上がったもち米を入れ杵(きね)でこねてから突始めます。
2代目の父、重蔵です。
餅の搗き手は父2代目 重蔵(しげぞう)が中心でお手伝いに来た問屋・メーカー・職人さんと自分(おじゃまむしだったかな?)が交代で餅を杵で搗き上げます。出来上がった餅の塊を四角い伸し餅を作る木枠に投げ入れると、今度は女子供達(自分も)で「あっちっち、っち」と先ずは一口大にちぎってアンコロ餅・大根おろししょうゆの入った鍋に投げ込み餡を絡めバットに入れ、残りを伸し餅・鏡餅にしていきます。湯気が上がる出来上がった餅たちを向こう三軒両隣にお裾分けに回るのが下町流です。そして、忙しい師走から静かな正月を迎えて明日への希望溢れる期待と夢があったあの頃の人と人のつながり・優しく柔らかい温かさは目指すべき未来だと思います。また、餅つきやりたいな!!
写真は母 八重子(昭和40年2月41歳)です。
よくある質問に、店名の「ヴィドゥルス」の意味を聞かれます。それは、ラテン語の「革の袋」という意味です。山羊・羊などの動物の皮を鞣し(なめし=腐らないように加工)革にして口を絞る紐と背負うための紐などを取り付け使用していたと考えられています。バッグ・鞄(かばん)の原型かと思います。
以上、乱筆乱文をお許しください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
外部リンク
ライフワークで下記のリンク先の瀧本派 不遷流柔体術(たきもとは ふせんりゅうじゅうたいじゅつ)を続けております。江戸時代武家の護身術が今も伝承されている柔術道場です。お時間がありましたらホームページ・フェイスブック等をご覧いただき、見学・体験はいつでも歓迎いたします。